慶應女子の就活放浪記 プロローグ

大学三年になった途端、あいつがやってきた。

その名は就活。

まだ四月なのに、優秀な学生を青田買いしようと、三田キャンパスの正門や東門を出た道には、就活生と企業を結びつける人材会社のスタッフがズラーッと並び、合同説明会のチラシを押し付けてくる。

意識高い系の学生は、それを手に取り、合説に参加する会社のHPを見ながら、どの会社が良いかなーなんて考えるのである。自分の力を知らないがゆえ、慶應ならどこでも受かんだろ、くらいに考えてしまうのだ。

かく言う私も、そのチラシを手にした一人だった。

「そんなにバリバリ働きたかったの?」と訊かれたら、悩む。「周りが就活してるから流されてしていただけ?」と訊かれたら「それは違う」と答えられる。

 

私は、そもそも就活に全く興味がなかった。小学生の頃から本が好きで、将来は文章を書いて生計を立てたいと思っていた。中学一年の頃には、すでに大学は文学部に入ることを決めていた。高校生になる頃には、大学院進学を決めていた。

就活なんて別世界の話だったはずなのに。

大学二年で今のパートナーに出会い、考え方を改めた。というのも、パートナーが売れない作家だからである。好きな人が、作家という私の夢をすでに叶えていて、毎日毎日小説を書いている、だけど世間には認められないのでお金を稼いでいない、という状況を前にしてもなお、文学研究のために大学院進学をして将来は作家になりたいなんて言ってられるか、と。

正直、文学部で院に行き、研究者を志すことは、自ら好き好んで人生を常に背水の陣にするのと同じである。院に入ること自体は大学の勉強を真面目にしていればそれほど難しくない(と聞く)が、そこから生き残っていくことが超難しいのである。とある先生に聞いた話だと、実際、文学系の博士を取るなり博士課程を単位取得退学するなりしたところで、研究職のポストにありつけるのは、4%だという。30歳くらいで運よく非常勤講師になれたとしても、非正規職で、年収は200万ないくらいだと。

パートナーと一緒にいたいのなら、必要なのは、金だった。二人の人間が生きるのに困らないくらいの金を、安定して、持続的に、手にすることが、必須条件だった。

ならば、慶應新卒というブランドを活かして、金を稼げば良いじゃんか。卒業時は22歳で十分若いし、若さ+大学のブランド力があれば、良い給料をくれる会社に就職できんじゃん?それが一番コスパ良く金稼げそう。

という安易な考えに至った。

だから、早い段階から就活することにした。合説のチラシは四月に手にした。

もともと就活には全く興味がなく、本当にしたいことは文学研究だったので、どんな仕事内容が良いなどという希望はなかった。あ、訂正。正確に言うと、数字が苦手なので、銀行や証券はさすがに無理だと思い、もともと候補から外していたが、それ以外なら別に何でも良かった。

金くれ。

これだけの動機で始めた就活。

出だしこそ快調だったものの、まさか後々、あんなことになるなんて......。

ということで続きを楽しみにお待ちくださいまし。